アメリカ行 その6

NPT

初日(4月27日)
シティー・ビュー・共同墓地(City View Cemetery)
4月27日14時30分、いったんホテルにチェックインしたあと、バスでシティー・ビュー・共同墓地に向かいました。リッチランドから、ハンフォードとは反対向きに20分くらい走ったでしょうか。コロンビア川の対岸、パスコという町にあります。
ここは1950年代から60年代にかけて、生まれてすぐ亡くなった乳幼児のお墓がたくさんあるところです。グリーンラン実験が49年12月ですから、その影響を受けた赤ちゃんたちのお墓ですね。
通常、アメリカの墓石には左に生年月日、右に死没年月日が書いてあるのですが、ここにある灰色の小さな墓石には、右側の数字だけ書いてあるものが多くあります。生まれてすぐ亡くなったり死産だったりしたため、片方の数字しか書かれていないのです。
正確にいくつあるのか、写真撮影のためにウロウロしていたので聞いていませんが、写真に写っている範囲のほとんどが子どものお墓です。
ワシントン州での交流でずっとコーディネーターを勤めてくれたジューン・スターク・ケーシーさん(ハンフォード風下地区住民の一人)によると、プルトニウム生産がピークだった頃(1960年頃)は、コロンビア川の川岸に立っているだけで相当量の放射線を浴びることができたそうです。その結果、流産、死産、先天性異常など、親だけでなく多くの子ども達にも悪影響が及んでしまったのです。
天気が良く、新緑の季節でもあるためお墓の周りの芝生はとてもきれいなのですが、広い敷地に植えられた木立の間を時折吹き抜ける強い風が、とても冷たく感じられました。

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