シアトルでほんのわずかの観光
夕方17時過ぎ、シアトルのホテル「ベスト・ウエスタン・エグゼクティブ・イン」に到着。
ホテルのすぐ近くに有名な「スペース・ニードル」と呼ばれるタワーがあったので、夕食までの30分間を利用して行ってきました。
写真は、そのタワーの向かい側にあるラジオ局「Komo1000」の前で撮ってもらいました。(フィルムとデジタル、合わせて400枚くらい撮ったのですが、本人が写っているのはこれを入れて6枚だけ。まぁ、仕方ないんですがね)

地元活動家との交流会
19時から交流会でした。進行は前夜と同じジューン・ケーシーさん。
日本からは昨日と同じく3人の発言がありましたが、この日は広島市議団の村上厚子さんが発言されました(写真参照。もう少し大きく写っているのもあるんですが、本人の了承を得ていないので)。被爆者である父の体験談などを話し、「これらを若い世代に語り継いでいかなくてはならない。広島に碑めぐりに来たときには、ぜひ私を指名してください」と発言されました。
アメリカから発言があったのは「社会的責任のための医師の会(PSR)」などの平和・環境団体や、午前中に通訳を務めてくれた妙法寺のお坊さん、イエズス会の神父さん、日本からの留学生などでした。元軍医で作家、劣化ウラン弾の専門家と紹介されたデニス・キーンさんの発言だったと思うのですが、湾岸戦争での「砂漠の嵐」作戦に関わったとき、「ウランを兵器に使うことも、その影響も聞いていなかった」。という発言もありました。その人は「一度広島に行きたい」とも言っていました。
左の写真が、私の参加した「5組」のメンバーです。といっても、顔が写っている人が少ないですが(^_^;)。右端の、髪で顔が隠れている女の子は日本人留学生だったと思います。お友達と一緒に参加していました。
ほかにも「FOR」という団体など、たくさんの現地の人が来ていました。壁に貼ってあるのは、その人たちが持ってきた写真やチラシなどです。日本からもたくさんの資料やお土産が配布されました。同じテーブルの女の子たちも、かなりいろいろ貰ってましたね。(日本人にあげてどうするのっていう気もしますが)
この会場で、2002年2月24日と3月3日付けの中国新聞が配られました。そこには、ハンフォード核施設やコロンビア川実態などの特集記事が、私たちが勉強したこととそれ以上の内容で載っていました。午前中に私たちを案内してくれたトム・カーペンターさんとケーシー・ルードさんの写真も載っていました。シアトルで配られるまで地元広島の新聞に載っていたことなどまったく知らず、少し恥ずかしくもあり、嬉しくもありました。この記事は「21世紀 核の時代 負の遺産」と題して2001年9月から11ヶ月に渡って掲載されたものの一部です。今でも中国新聞のホームページで見ることができます。